「平成」という時代はあと1時間ほどで終わり、いよいよ新時代「令和」が始まります。
「平成」は西暦にすると1988年に始まり、2019年に終わる、ちょうど30年と4ヶ月・・・。これが「平成」という時代の長さ、約30年ということですね。
阪神淡路大震災、オウム真理教の事件、バブル経済とその崩壊、東日本大震災と福島原発事故、日本および世界各地で頻発する地震、台風、その他増加する異常気象の数々、長期にわたる経済の低迷・・・。国内では戦争こそなかったですが、こうして挙げてみると、平安で穏やかというよりも、激動の時代、と言うに相応しい感じもしてきますね。
ネットで世界が繋がり、様々な情報への個人のアクセス力の飛躍的に拡大した「平成」の30年でもあったと思います。一方でAIやロボットなど、近い将来、社会の有り様の更なる激変も確実視され、そこにはむろん希望もありますが、同時にこの新時代「令和」への漠たる不安も少なからず湧いてきます。
個人的には、自動運転カーの普及を一番期待しています。生涯現役を目指すなら、やはり年とともに甘受せざるを得ない移動手段の制約を極力低減できる、自動運転カーは大変魅力的です。法制度や道路整備など、広範かつ多様にクリアすべき問題もあり、普及に関しては技術面よりもそれらが一番のネックとなるのかもしれませんが、なんとか知恵を絞り、早期の普及に繋げていってもらえたらなあと思います。
「平成」30年を振り返ると、やはりこの間の一番大きな変化は、「昭和」の時代までに築かれていた価値観が根本から崩れ去り、既存の考え方、やり方、与えられた定型の発想では立ち行かなくなったこと。そして、個人がしっかりと一つ一つの問題に真剣に向き合い、情報を収集し、判断し決断し実行していかざるを得ない場面が増し、そして、そうした能力を磨き発揮できる者にはチャンスも与えられる、そんな時代がやってきた、ということなのではないか、と思っています。
受け身で事なかれ主義、従順な生き様を望む人々には、新時代は更に厳しい時代となるのかもしれませんが、自分で人生を切り開く気概ある人々には、面白い時代となるのかも、ですね。
結局來たる時代を良くするも悪くするも、自分次第、ということでしょうか。
どんな時代であれ、新たな時代「令和」を楽しむ心の余裕は、今後も培っていきたいものです。
沖縄南部の八重瀬町でカイロプラクティック整体院を営んでいます。つれづれに、整体、健康、沖縄南部に関する事、動植物、自然、また日常の様々な出来事を記しています。治療院のリンクは http://seitai-aya.com/
2019-05-01
2015-07-23
沖縄の水田と稲作
沖縄では驚くことに、6月中旬以降から新米が出回ります。
これが文字通り、「日本一早い新米」、ですね。
沖縄産のお米と言っても、その生産量は特に多いというわけではなく、稲作を行っているのは、本島と離島の数市町村(名護市、金武町、恩納村、伊平屋村、伊是名村、、石垣市、竹富町、与那国町)。
ただ、沖縄の米作の特徴は二期作が可能な事。つまり、やる気なら、春だけでなく秋(10月下旬から11月)にも収穫が出来る、という事ですね。
(ただ二期目のシーズンは台風のリスクが大きいので、本当は結構勇気のいることなのかもしれませんけれど…。)
ですので、冒頭の新米は、正確には第一期目に収穫されたものが出回る、ということです。
その後間隔をおいて、第二期目に収穫されたものが再び秋の新米として出回ることがあるわけです。
元々東北地方の稲作で使われる苗は沖縄で育てていた、という経緯がどうもあるようで、その影響もあってか、種類は「ひとめぼれ」が結構多いとのこと。もう一つの主力品種は「ちゅらひかり」だそうです。
サトウキビ畑が沖縄の田舎風景の代表の様な感じがありますが、以前は本島でもこんな田園風景が結構広がっていた時期もあったとか・・・。でも、今ではなかなか見ることの出来ない風景に。
久々に見かけた水田に不思議と懐かしさも感.じます。
我が家では石垣島産のひとめぼれ新米を三分づきにして食べてますが、とても美味です。
これが文字通り、「日本一早い新米」、ですね。
沖縄産のお米と言っても、その生産量は特に多いというわけではなく、稲作を行っているのは、本島と離島の数市町村(名護市、金武町、恩納村、伊平屋村、伊是名村、、石垣市、竹富町、与那国町)。
ただ、沖縄の米作の特徴は二期作が可能な事。つまり、やる気なら、春だけでなく秋(10月下旬から11月)にも収穫が出来る、という事ですね。
(ただ二期目のシーズンは台風のリスクが大きいので、本当は結構勇気のいることなのかもしれませんけれど…。)
ですので、冒頭の新米は、正確には第一期目に収穫されたものが出回る、ということです。
その後間隔をおいて、第二期目に収穫されたものが再び秋の新米として出回ることがあるわけです。
元々東北地方の稲作で使われる苗は沖縄で育てていた、という経緯がどうもあるようで、その影響もあってか、種類は「ひとめぼれ」が結構多いとのこと。もう一つの主力品種は「ちゅらひかり」だそうです。
| 金武町の7月半ばの水田風景。たわわに実った第一期目の米。 で、そのすぐ横を見ると、 |
| 収穫を終え、次の田植の準備中の水田が、並んでいます。 |
| こんな風景はさすがに亜熱帯沖縄ならでは、ですねえ…。 凄い、です。ちょっと感動。 |
サトウキビ畑が沖縄の田舎風景の代表の様な感じがありますが、以前は本島でもこんな田園風景が結構広がっていた時期もあったとか・・・。でも、今ではなかなか見ることの出来ない風景に。
久々に見かけた水田に不思議と懐かしさも感.じます。
| 川が無い為でしょうか。地下水をくみ上げて水田に水を入れているようです。 この汲み上げポンプは各水田ごとにありました。 |
我が家では石垣島産のひとめぼれ新米を三分づきにして食べてますが、とても美味です。
| 水田の脇に佇む水鳥たち。なにか美味しそうな生き物探しているのでしょうか? |
2014-06-18
石敢當(いしがんとう)
沖縄では、「石敢當」と刻まれた石をあちこちで見かけます。
住宅街などでは、突き当りになっているような家の塀や壁などに埋め込まれていたり、張られていたり。シーサー同様、兎に角そこらじゅうにある、という感じ。
東京に住む知り合いが初めて我が家を訪れた時にこれを見て、「ご近所に石敢當さん、というお宅が沢山あるのね。皆さん、親戚なのかしら・・・」、と、家の表札と勘違いした程です。
神奈川県の川崎を訪れた際、駅前にこの大きな石敢當(いしがんとう)を発見しました。
「え、こんなところにも? 何故?」、と正直少し驚きました。
大人の身長程もあるこの大きな石敢當、裏面にはここに置かれている理由が・・・。
川崎市からの支援へのお礼として、宮古島から贈られたのだそうです。
さらに、「石敢當」の謂れも刻まれており、石敢當とは中国の強力無双の力士の名前で、魔除けとしてこの力士の名前3文字を石に刻んで十字路等に建てた習慣ががあり、それが中国から沖縄・九州地方に伝わっているとのこと。(でもこの謂れは、いくつかの説のうちの一つだそうです。詳しくはこちら)
こうして沖縄では、突き当たりになる壁には必ずといって良い程石敢當がある、ということになったのでしょうか・・・。
実際、魔物も相当住みにくかろうと思う程、シーサー、石敢當をはじめ様々な魔除けが沖縄にはあります。信心深いというか、沖縄の皆さんは、本当に魔除けがお好きなのだろうと思います。
でも実は、「石」そのものに何か霊力を感じ、石自体を神として祭る、というのは、沖縄だけでなく、本土の各地でも行われていたようです。昔は集落の入り口や家々の角に、お地蔵様や石に掘られた色々な神様がいらっしゃっただけでなく、石そのものが祭られていたり、石碑などが建てられていたとか・・・。
本土にもあったはずのその多くはどこへ行ってしまったのでしょうね。
地方へ行けばまだ残っているのかもしれませんが、首都圏の住宅密集地で見かけることはあまりないですよね。人々の信仰心が薄れると共に、いつの間にかどこかへ消えてしまったのでしょうか。
住宅街などでは、突き当りになっているような家の塀や壁などに埋め込まれていたり、張られていたり。シーサー同様、兎に角そこらじゅうにある、という感じ。
東京に住む知り合いが初めて我が家を訪れた時にこれを見て、「ご近所に石敢當さん、というお宅が沢山あるのね。皆さん、親戚なのかしら・・・」、と、家の表札と勘違いした程です。
神奈川県の川崎を訪れた際、駅前にこの大きな石敢當(いしがんとう)を発見しました。
「え、こんなところにも? 何故?」、と正直少し驚きました。
大人の身長程もあるこの大きな石敢當、裏面にはここに置かれている理由が・・・。
川崎市からの支援へのお礼として、宮古島から贈られたのだそうです。
さらに、「石敢當」の謂れも刻まれており、石敢當とは中国の強力無双の力士の名前で、魔除けとしてこの力士の名前3文字を石に刻んで十字路等に建てた習慣ががあり、それが中国から沖縄・九州地方に伝わっているとのこと。(でもこの謂れは、いくつかの説のうちの一つだそうです。詳しくはこちら)
こうして沖縄では、突き当たりになる壁には必ずといって良い程石敢當がある、ということになったのでしょうか・・・。
実際、魔物も相当住みにくかろうと思う程、シーサー、石敢當をはじめ様々な魔除けが沖縄にはあります。信心深いというか、沖縄の皆さんは、本当に魔除けがお好きなのだろうと思います。
でも実は、「石」そのものに何か霊力を感じ、石自体を神として祭る、というのは、沖縄だけでなく、本土の各地でも行われていたようです。昔は集落の入り口や家々の角に、お地蔵様や石に掘られた色々な神様がいらっしゃっただけでなく、石そのものが祭られていたり、石碑などが建てられていたとか・・・。
本土にもあったはずのその多くはどこへ行ってしまったのでしょうね。
地方へ行けばまだ残っているのかもしれませんが、首都圏の住宅密集地で見かけることはあまりないですよね。人々の信仰心が薄れると共に、いつの間にかどこかへ消えてしまったのでしょうか。
2014-02-11
勝連城
今日は久しぶりの晴れ空になりました。
大雪の東京に比べれば寒さとは言えないかもしれませんが、先週は20℃を超えていたため暑い程だったのですが、昨日は15℃前後になり、かなり肌寒く感じます。
勝連城は何度も行こうとしてなかなか寄れなかったグスクですが、2週間程前にやっと訪れることができました。
勝連城跡は世界遺産の一つ、沖縄の歴史観光の人気スポットです。空に向けてそびえ立つような姿は、たしかにとても魅力的。そして、特筆すべきは、ここは石組みのグスクがあるだけでなく、そこで起こったストーリーにもとても魅力のあることです。
お話の主人公は、尚王朝に楯突いたという意味で、逆賊扱いされていた勝連城最後の按司 阿麻和利です。でも、ここには逆賊ではない、英雄としての阿麻和利の伝説が生きています。
権力闘争に負け長い間逆賊として扱われてきた阿麻和利が、長い時間を経て地元の英雄として再び評価されることは、我々庶民の判官びいきを刺激しますね。”悪人”として言い伝えられて来た人物が、実は権力にとって不都合な人間だったために、悪人扱いされてきた。逆に、歴史上のいわゆる「英雄」が実はとてつもない悪人だったということもありそうな・・・。
案内所の冊子に紹介されていた、うるま地域の中高校生で演出されるという現代版組踊「肝高の阿麻和利」は是非観劇してみたいと思いました。でもまずは、小説「百十踏揚」をもう一度読んでみたいと思います。
あまり歴史の残っていない沖縄のグスクですが、ここには勝連城最後の按司のストーリーとはいえ、生きた人間のストリーがあり、それを大切に育てています。
観光が大きな産業になっている沖縄です。訪れた人々に楽しんでもらい、豊かなイメージを持ち帰ってもらうためにも、グスクにまつわる歴史をもっと掘り起こし、生きた歴史としてこのように大切に育てて行くのは重要な事じゃないかしら、と、僭越ながらもちょっと思ってしまいますね。
大雪の東京に比べれば寒さとは言えないかもしれませんが、先週は20℃を超えていたため暑い程だったのですが、昨日は15℃前後になり、かなり肌寒く感じます。
| 石垣が凛として聳える勝連城の景色はとても大きく見えます。 |
勝連城は何度も行こうとしてなかなか寄れなかったグスクですが、2週間程前にやっと訪れることができました。
勝連城跡は世界遺産の一つ、沖縄の歴史観光の人気スポットです。空に向けてそびえ立つような姿は、たしかにとても魅力的。そして、特筆すべきは、ここは石組みのグスクがあるだけでなく、そこで起こったストーリーにもとても魅力のあることです。
お話の主人公は、尚王朝に楯突いたという意味で、逆賊扱いされていた勝連城最後の按司 阿麻和利です。でも、ここには逆賊ではない、英雄としての阿麻和利の伝説が生きています。
権力闘争に負け長い間逆賊として扱われてきた阿麻和利が、長い時間を経て地元の英雄として再び評価されることは、我々庶民の判官びいきを刺激しますね。”悪人”として言い伝えられて来た人物が、実は権力にとって不都合な人間だったために、悪人扱いされてきた。逆に、歴史上のいわゆる「英雄」が実はとてつもない悪人だったということもありそうな・・・。
案内所の冊子に紹介されていた、うるま地域の中高校生で演出されるという現代版組踊「肝高の阿麻和利」は是非観劇してみたいと思いました。でもまずは、小説「百十踏揚」をもう一度読んでみたいと思います。
あまり歴史の残っていない沖縄のグスクですが、ここには勝連城最後の按司のストーリーとはいえ、生きた人間のストリーがあり、それを大切に育てています。
観光が大きな産業になっている沖縄です。訪れた人々に楽しんでもらい、豊かなイメージを持ち帰ってもらうためにも、グスクにまつわる歴史をもっと掘り起こし、生きた歴史としてこのように大切に育てて行くのは重要な事じゃないかしら、と、僭越ながらもちょっと思ってしまいますね。
| この大きな石垣の割には、登ってみると、 建物跡はとても質素に感じます。 ここの階段の急さは想像以上でした。 |
2013-10-28
急に寒くなって
今朝の気温は23℃でした。急に寒くなってきていますね。
28℃での生活に慣れてしまった身体には、25℃以下はとても寒く感じます。夜もタオルケット一枚で眠っていた状況から、薄い羽毛布団をかけて寝るようになりました。
外へ出ても、長袖・長ズボンの方が増えてきました。昼でも、少し風があると半袖では寒く感じます。もうすぐ11月、沖縄にもとうとう秋が訪れた、という事ですね。
季節の変わり目です。身体も夏の疲労を隠せなくなり、風邪を引きやすくなったり、弱っているところに症状が出ます。
腰痛や肩こり、首の痛み等の患者さんが増えるのも季節の変わり目だからでしょう。皆さん潜在的に持っていた痛みが、疲れた身体にむち打つように出てきているようです。
台風27号以来どんより曇っていた空も、やっと少しは明るくなり日差しの出る時間も長くなってきました。でも、今日もまだ雲が多いので、曇り時々晴れ、といったお天気です。日中の室内の最高気温は27℃ですが、外へ出ても気温が低下したせいか、ギラギラした太陽の光もあまり強く感じられません。でも、紫外線にはまだ気をつけましょうね。
昨日は、シマ(地区)の秋のクリーン大作戦があり、夫は新城を通る県道の草むしりや新たな花の苗の移植など、朝から2時間程の共同作業に出てくれました。秋になり草の生え方も一段落したための清掃作業でしょう。
新城は、シマの中心を県道131号線が貫いています。そこの歩道に松が植えられており、その根元は綺麗な花壇になっています。その花壇の手入れと、道路脇の除草等が主な作業だったとのこと。
新城のこの道は地形に従ってくねくねと曲がっています。ただ、理由はわかりませんが、交通量からするとこの部分はとても広い道路になっています。道路と同じように歩道も広いのでとても開放的で綺麗な道路です。そこに、シマの人達が色々な花を植えています。
その広い道路の突き当たりは玉泉洞(おきなわワールド)になります。
28℃での生活に慣れてしまった身体には、25℃以下はとても寒く感じます。夜もタオルケット一枚で眠っていた状況から、薄い羽毛布団をかけて寝るようになりました。
外へ出ても、長袖・長ズボンの方が増えてきました。昼でも、少し風があると半袖では寒く感じます。もうすぐ11月、沖縄にもとうとう秋が訪れた、という事ですね。
季節の変わり目です。身体も夏の疲労を隠せなくなり、風邪を引きやすくなったり、弱っているところに症状が出ます。
腰痛や肩こり、首の痛み等の患者さんが増えるのも季節の変わり目だからでしょう。皆さん潜在的に持っていた痛みが、疲れた身体にむち打つように出てきているようです。
台風27号以来どんより曇っていた空も、やっと少しは明るくなり日差しの出る時間も長くなってきました。でも、今日もまだ雲が多いので、曇り時々晴れ、といったお天気です。日中の室内の最高気温は27℃ですが、外へ出ても気温が低下したせいか、ギラギラした太陽の光もあまり強く感じられません。でも、紫外線にはまだ気をつけましょうね。
昨日は、シマ(地区)の秋のクリーン大作戦があり、夫は新城を通る県道の草むしりや新たな花の苗の移植など、朝から2時間程の共同作業に出てくれました。秋になり草の生え方も一段落したための清掃作業でしょう。
新城は、シマの中心を県道131号線が貫いています。そこの歩道に松が植えられており、その根元は綺麗な花壇になっています。その花壇の手入れと、道路脇の除草等が主な作業だったとのこと。
新城のこの道は地形に従ってくねくねと曲がっています。ただ、理由はわかりませんが、交通量からするとこの部分はとても広い道路になっています。道路と同じように歩道も広いのでとても開放的で綺麗な道路です。そこに、シマの人達が色々な花を植えています。
その広い道路の突き当たりは玉泉洞(おきなわワールド)になります。
![]() |
| Aの記号は整体院Ayaですが、この131号とても広い道路です。 |
2013-10-11
玉城グスク跡
整体院から知念方面を望むと、そこに玉城グスク跡が見えます。
糸数グスクから始まった丘をずっと海の方に下って行った先に、少し突き出している小山のように見える丘、それが玉城城だとやっと気づきました。
何度も通ったグスク通りと名付けられた道、その脇にある小山が玉城グスク跡でした。いまさらですが、だからグスク通りなのですね。道路が綺麗に整備されているため、公園のようで、かえって見つけにくくなっているのかもしれません。でもとても良く整備されています。
グスクというと、世界遺産となっている所を除き、少し荒れたところにひっそりとあるというのが多いのですが、ここは公園のように整備されて、とても整っています。(一の郭は完全に整備中のようです)
このグスクも詳細は不明ですが、アマミキヨの築いた城であるとの伝説があると説明に記載がありました。このような多数のグスクの詳細が残されていないというのはとても残念な気がします。
私にとっては、丸く開いた一の郭への入口も魅力的ですが、ここは沖縄南部の歴史の展望台という感じでしょうか。
話は飛んでしまいますが、玉城には、夫がとても面白いと絶賛の歴史小説「百度踏揚(ももと・ふみあがり)」の主人公の墓もあるとのこと。百度踏揚は実在の琉球王女、勝連城城主の阿麻和利(あまわり)に嫁いだ琉球王女で、琉球王国の第6代国王・尚泰久(しょうたいきゅう)の娘。祖父を夫に討たれ、夫を父に討たれ、王統も途絶え、第二の夫もまた討たれ、玉城に流されていたという、時代に翻弄された王女です。小説ではさらに面白い設定や陰謀の数々が説得力をもって語られます・・・。
資料が残っておらず、本当の事実はわからないのが琉球の歴史でしょうか。分からない事が多いから、想像を逞しくでき、小説も面白くなる。
糸数グスクから始まった丘をずっと海の方に下って行った先に、少し突き出している小山のように見える丘、それが玉城城だとやっと気づきました。
| 玉城城跡は長い階段を登りきったところに一の郭の入り口が丸く穴をあけています。 この階段の最上段からの眺めはなかなかです。 |
グスクというと、世界遺産となっている所を除き、少し荒れたところにひっそりとあるというのが多いのですが、ここは公園のように整備されて、とても整っています。(一の郭は完全に整備中のようです)
このグスクも詳細は不明ですが、アマミキヨの築いた城であるとの伝説があると説明に記載がありました。このような多数のグスクの詳細が残されていないというのはとても残念な気がします。
私にとっては、丸く開いた一の郭への入口も魅力的ですが、ここは沖縄南部の歴史の展望台という感じでしょうか。
話は飛んでしまいますが、玉城には、夫がとても面白いと絶賛の歴史小説「百度踏揚(ももと・ふみあがり)」の主人公の墓もあるとのこと。百度踏揚は実在の琉球王女、勝連城城主の阿麻和利(あまわり)に嫁いだ琉球王女で、琉球王国の第6代国王・尚泰久(しょうたいきゅう)の娘。祖父を夫に討たれ、夫を父に討たれ、王統も途絶え、第二の夫もまた討たれ、玉城に流されていたという、時代に翻弄された王女です。小説ではさらに面白い設定や陰謀の数々が説得力をもって語られます・・・。
資料が残っておらず、本当の事実はわからないのが琉球の歴史でしょうか。分からない事が多いから、想像を逞しくでき、小説も面白くなる。
| 説明版の脇から見上げると、一の郭がそびえたっています。 城壁の岩は、太平洋戦争後に米軍施設建設のため運び去られたとのこと。
|
| 玉城グスク跡から見た奥武島(夢の島のような雰囲気でした) 一の郭の中は拝所があるのみで比較的狭く、南以外の眺望は壁に遮られています。 |
| 城壁が高く、現在一の郭から展望できるのは奥武島側を望む南のみ、 こちらはまだ工事中でしょうか、一番低い所から海が見えていました。 整備されて眺望がなくなるのももったいないように思われます。 |
![]() |
| 北側はゴルフ場(階段から) |
2013-09-26
糸数グスクから昇る虹
偶然ですが、糸数グスクから立ち上がった虹を撮影しました。
城(グスク)とは、文字通り城(シロ)のことで、沖縄にはこのグスクがあちらこちらに沢山残っています。正確には城壁だけが残っている、ということなのですが、規模も大きくて保存状態の良いものは(もしかすると近年になって保存の為色々修復を行った結果なのかもしれませんが)、世界遺産にもなっています。
私の住む沖縄南部にも、規模も小さく保存状態のあまり良くないものまで含めると、かなりの数があるようです。
家から車で10分から15分位の範囲だけに限っても、知念森グスク、玉城グスク、糸数グスク、垣花グスク、大里グスク、具志頭グスク、富盛グスクなどなど、なんだかグスクだらけ、といった印象すら受けてしまいます。
実は、以前にこのブログでも書いたように思いますが、私が現在住んでいる家のあたりにも多分かつてグスクがあったらしい、と言われています。
グスク=城=シロ、ということなのですが、ここで素朴な疑問が一つ・・・。そもそも沖縄での「城」とはなんでしょうか?
たとえば、戦国時代の日本各地では、戦をする目的もあり、諸大名が各地に堅牢な城を築いて兵や武器を備え戦に備える、といったことがなされていたのでしょうけれど。そして戦の収まった江戸時代には諸藩の行政の府として、城が維持されてきた、という経緯はあるのでしょうけれど、沖縄のグスクの場合、その起源もあまり定かなものがなく、聖域説やら集落説やら色々あるようです。
今でさえ人口はそんなに多くはないエリアです。グスクが機能していた時代であれば、その人口もずっと少なかったのでは、とも思えますので、そんな時代にこんなに沢山のグスクがこの狭いエリアに必要だったのはなぜかしら~?と。
今のところは、各集落を守る神社のような役割と役場の出先機関のような役割を兼ねた場所?、と勝手に解釈して自分を納得させています。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら、是非教えて欲しいものですね。
| 糸数城から虹が立ち上がって見えます。 二本のアンテナとドームは糸数城の東側にあります。 |
私の住む沖縄南部にも、規模も小さく保存状態のあまり良くないものまで含めると、かなりの数があるようです。
家から車で10分から15分位の範囲だけに限っても、知念森グスク、玉城グスク、糸数グスク、垣花グスク、大里グスク、具志頭グスク、富盛グスクなどなど、なんだかグスクだらけ、といった印象すら受けてしまいます。
実は、以前にこのブログでも書いたように思いますが、私が現在住んでいる家のあたりにも多分かつてグスクがあったらしい、と言われています。
グスク=城=シロ、ということなのですが、ここで素朴な疑問が一つ・・・。そもそも沖縄での「城」とはなんでしょうか?
たとえば、戦国時代の日本各地では、戦をする目的もあり、諸大名が各地に堅牢な城を築いて兵や武器を備え戦に備える、といったことがなされていたのでしょうけれど。そして戦の収まった江戸時代には諸藩の行政の府として、城が維持されてきた、という経緯はあるのでしょうけれど、沖縄のグスクの場合、その起源もあまり定かなものがなく、聖域説やら集落説やら色々あるようです。
今でさえ人口はそんなに多くはないエリアです。グスクが機能していた時代であれば、その人口もずっと少なかったのでは、とも思えますので、そんな時代にこんなに沢山のグスクがこの狭いエリアに必要だったのはなぜかしら~?と。
今のところは、各集落を守る神社のような役割と役場の出先機関のような役割を兼ねた場所?、と勝手に解釈して自分を納得させています。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら、是非教えて欲しいものですね。
2013-07-30
金城町の石畳
司馬遼太郎の街道をゆく6「沖縄・前島への道」には、「もし首里の町が戦前のまま残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩を並べる観光地になっていたろう」という一文があります。その「石垣と石畳の町」古い首里の面影が残っているという那覇の首里城の南、金城町の石畳道を散歩してきました。
石畳の道はさほどの距離はないものの、歩き下るとその昔の都首里を折々ふっと感じさせる、しっとりとした趣ある路地です。けれど、この散策コースで一番驚いたのは、石畳の道ではなく、石畳の道の途中から左手の一本道に少し入り込んだ奥にある、戦火を逃れた樹齢300年と言われる赤木の木、そしてそれを囲む崖下ともいえる場所の雰囲気です。
何とも言えない、厳かで、正に神域といった空気に満ちているのです。この場所の少し前まで民家が普通に立ち並んでいる、都会那覇の一角に過ぎないはずの所ですのに・・・。
訪れた時、ちょうど右手の大木の幹だけに、まるでスポットライトのように赤い西日がさしており、その神々しさといったら・・・。近寄りがたく、ただただひれ伏したくなるような存在感と威厳に満ち、圧巻でした。その木々を守っているのでしょうか、様々な鳥達の鳴き声も響きます。自然と頭を垂れ手を合わさずにはいられなくなりました。
首里城のすぐ下で、この場所がよくぞ残ったものです。樹形もまさに御神木でしたし、やはり神に守られているとしか思えない光景でした。
すぐに、石畳茶屋が見えてきます。
石畳の道はさほどの距離はないものの、歩き下るとその昔の都首里を折々ふっと感じさせる、しっとりとした趣ある路地です。けれど、この散策コースで一番驚いたのは、石畳の道ではなく、石畳の道の途中から左手の一本道に少し入り込んだ奥にある、戦火を逃れた樹齢300年と言われる赤木の木、そしてそれを囲む崖下ともいえる場所の雰囲気です。
| まるで熱帯雨林に迷い込んだ様。本当にこれが首里城のすぐ近くなのかしら、と。 |
訪れた時、ちょうど右手の大木の幹だけに、まるでスポットライトのように赤い西日がさしており、その神々しさといったら・・・。近寄りがたく、ただただひれ伏したくなるような存在感と威厳に満ち、圧巻でした。その木々を守っているのでしょうか、様々な鳥達の鳴き声も響きます。自然と頭を垂れ手を合わさずにはいられなくなりました。
首里城のすぐ下で、この場所がよくぞ残ったものです。樹形もまさに御神木でしたし、やはり神に守られているとしか思えない光景でした。
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| 大アカギのそばの石畳は、擦れて丸くなり、とりわけ古さを感じさせます。 ここをみると、きっと他の石畳道は修復され続けているのでしょうね。 |
石畳の道へは、守礼門を入って右に折れた道を下った正面、まさに車を駐車した、首里城の駐車場入口のすぐ先から始まります。(首里城駐車場が便利です。時間に関係なく1回310円で夜9時まで駐車できます)
| 美しく整備された石畳道はここから始まります。 |
| 日暮れまで時間もないため、寄らずに過ぎました。 |
| ここから那覇市内を望めます。 |
| 県指定文化財だけあり、とても良く整備された道です。 |
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| まさに石垣と石畳の道そのままです。 |
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| かなり良く整備されています。電線がなければ最高ですね。 |
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| こちらは少し古い感じの石垣。 |
| 昔はこんな家と石垣、石畳だったのでしょうか。 |
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| チュラさんで利用されたという家を過ぎると、すぐに左へ折れ、 冒頭の大アカギのある公園へ行くため、脇道へ入ります。 |
| 坂を下った先に、休憩所がありました。 この日は既に閉まっていましたが、古い木造の伝統家屋です。 元は公民館として使われていたようです。 |
| 味のある街路灯が灯っていました。 |
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| 一番下りきったところにある琉球料理のお店「首里殿内」 風情のあるお店で、今度来てみたいですね。 |
| 帰りは、別の道から登りました。 |
すっかり暗くなってしまいましたが、大変楽しい夕方の90分散歩となりました。
この途中で、短時間でしたが、久々の雨にもあいました。晴天がこうも続くと雨も恋しくなるものですね・・・。ちょっと嬉しかったです。
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2013-07-12
新城城跡の情報は?
新城(あらぐすく)神社の敷地には新城城跡とありながら、新城城に関する記述が見当たりません。
区長さんにお会いした際に、お宅の建設時にあの土地から古銭が出てきて、建設前に発掘調査をしたとのお話を伺いました。家の建設資料を確認しましたら、確かに八重瀬町教育委員会からの以下のような書類が挟み込まれていました。
「当該地区は以前におこなった試掘調査の結果、埋蔵文化財が確認され。緊急発掘調査を行ないました。よって、今後照会地での開発行為を行なうことについて問題ありません。
しかしながら工事など土地を改変する際に文化財と考えられるものが再度確認された場合は文化財保護法を遵守し、・・・(以下略)」
この付近に新城城があったらしいことは、近くの真嘉戸井(マカトウガー)という井戸の伝説の説明に「14世紀初期頃に新城城が建城された時代から、昭和初期まで」 という記述があることからもうかがえます。「真嘉戸井は新城部落に生活用水を供給する重要な水源であった」との記述もあり、その真嘉戸井に関する伝説は「球陽」の下巻に「遺老説伝」として記載されているとのことでした。
| 史跡 新城城跡 |
「当該地区は以前におこなった試掘調査の結果、埋蔵文化財が確認され。緊急発掘調査を行ないました。よって、今後照会地での開発行為を行なうことについて問題ありません。
しかしながら工事など土地を改変する際に文化財と考えられるものが再度確認された場合は文化財保護法を遵守し、・・・(以下略)」
この付近に新城城があったらしいことは、近くの真嘉戸井(マカトウガー)という井戸の伝説の説明に「14世紀初期頃に新城城が建城された時代から、昭和初期まで」 という記述があることからもうかがえます。「真嘉戸井は新城部落に生活用水を供給する重要な水源であった」との記述もあり、その真嘉戸井に関する伝説は「球陽」の下巻に「遺老説伝」として記載されているとのことでした。
| 真嘉戸井の説明 クリックで大きくなります。 |
遺跡ウオーカーというサイトには新城A遺跡というのがありますが、その情報は旧具志頭村の村報を元にしたデータのようです。
この資料によると、日本での「中世」というのは、鎌倉・室町時代のこと、1200年から1500年台半ばまでを意味します。発見された出土品からは、沖縄貝塚時代前期からグスク時代の出土品とあり、さらに歴史を遡ることになります。
この資料によると、日本での「中世」というのは、鎌倉・室町時代のこと、1200年から1500年台半ばまでを意味します。発見された出土品からは、沖縄貝塚時代前期からグスク時代の出土品とあり、さらに歴史を遡ることになります。
新城A遺跡
近くで1万8千年前の港川原人も発見されている位ですから、こんな近代にこの地域で人々の生活があっても少しも不思議ではないですよね。
そのころ今の我が家のあたりで、どんな人々がどんな暮らしをしていたのかしら・・・、と少し思い巡らせてみました。暮らしぶりは今とは全く違っていても、きっとここから見える海の色や聞こえる風の音は大して違わなかったのではないでしょうか。ほんのりロマンを感じますね。
- ふりがな
- あらぐすくえーいせき
- 時代
- 中世細分不明
- 所在地
- 沖縄県島尻郡八重瀬町新城
- 緯度経度
- 26.140861, 127.740639
- 遺構概要
- 集落
- 遺物概要
- 村報3(沖縄貝塚時代前期-土器+土製品/フェンサ上層式土器+青磁+陶質土器)
- 発掘概要
- その他概要
- 旧、島尻郡具志頭村。 村報3-1986.3
近くで1万8千年前の港川原人も発見されている位ですから、こんな近代にこの地域で人々の生活があっても少しも不思議ではないですよね。
そのころ今の我が家のあたりで、どんな人々がどんな暮らしをしていたのかしら・・・、と少し思い巡らせてみました。暮らしぶりは今とは全く違っていても、きっとここから見える海の色や聞こえる風の音は大して違わなかったのではないでしょうか。ほんのりロマンを感じますね。
2013-07-06
沖縄伝統家屋には玄関がなかった
沖縄の伝統的な家には玄関がなかったらしい。
実は書き物を読んでそのことに気づきましたが、それまで、私は台所への入口が玄関だと思い込んでいました。廊下が玄関の役目を果たしていたのでしょう。そういえば、「やぎや(屋宜家)」さんにおそばを食べに行ったとき、廊下からお邪魔したのを思い出しました。
夫が生まれた家は関東の農家だったそうですが、玄関はあっても、冬以外はおばあちゃんが縁側でひなたぼっこ、訪ねてくる人は、玄関ではなく縁側で用事を済ませ、お茶を飲み、雑談をして帰っていたっとのこと。さすがに寒い時期だけは、玄関を入った土間に火鉢を据え、暖をとりながら土間に面した板の間で談話したとのことです。
この夫の話を聞き、沖縄なら縁側があれば玄関は不要ということに、なんとなく納得できました。
余談ですが夫は、「育った家と雰囲気が似ている」と、沖縄の伝統の家に懐かしさと親しみを持っているようです。それだけでなく、かまどや、機織機などの古い生活用具ですら、懐かしい、と・・・。昔から長く変わることのなかった田舎の生活を実体験しているので、私にとっては博物館にしかないそれらの生活用具を、幼い頃身近に見て用いて、暮らしていたようなのです。夫と私の歳は大して違わないのに、大きな時代のギャップのようなもの?を感じる瞬間です(笑)。
ヒンプン、魔除け
一方、沖縄の家には必ず門があり、門の正面にヒンプンという壁が存在しています。門を入ってまっすぐに進むとこの壁にぶつかることになります。(自動車とヒンブンは相性が悪いですね、きっと。)このヒンプン、魔物はまっすぐにしか進めないからと通りの突き当たりの壁等に埋め込んである「石巌當」と同じで、魔除けの壁です。
私は、魔物はまっすぐにしか進めないと聞いた時に、もしかすると「魔物」って台風の事を想定しているのかしらと思ったりしたわけです。屏風(ヒンプン)と書くあたり、また、色々な所に、魔除け兼、目隠し兼、風よけと書いてありますので、台風だけではないのでしょうが、少なくとも台風も魔物に含まれているんだなと思ってしまいました。
沖縄の人は魔除けが好きですよね。家に関わるものだけでも門の両側にシーサー、塀には石巌當、庭に入ったらヒンプンといくつもの魔除けがあります。どの家にも間違いなくあります。その上に、ヤモリ(家守)まで住んでいますから。入居する前何もいなかったはずの我が家でも、ヤモリさんがお風呂場におり家を守っていてくれました。
沖縄の家は、なぜ台風で飛ばされなかったのでしょうか?
もう一つ気になるのが、広い庇と家の作り。石の土台の上に、木を乗せただけで固定されていません。自分の重さだけで台風から家を飛ばされないようにしているのでしょうか?そのため、大きな屋根と重い瓦が重しになっていたのかしら。風が屋根の上を通り過ぎるように建てる地形的な条件だけではなく、この大きな庇のある屋根の形状と関係がありそうな気がしてなりません。
実は書き物を読んでそのことに気づきましたが、それまで、私は台所への入口が玄関だと思い込んでいました。廊下が玄関の役目を果たしていたのでしょう。そういえば、「やぎや(屋宜家)」さんにおそばを食べに行ったとき、廊下からお邪魔したのを思い出しました。
夫が生まれた家は関東の農家だったそうですが、玄関はあっても、冬以外はおばあちゃんが縁側でひなたぼっこ、訪ねてくる人は、玄関ではなく縁側で用事を済ませ、お茶を飲み、雑談をして帰っていたっとのこと。さすがに寒い時期だけは、玄関を入った土間に火鉢を据え、暖をとりながら土間に面した板の間で談話したとのことです。
この夫の話を聞き、沖縄なら縁側があれば玄関は不要ということに、なんとなく納得できました。
余談ですが夫は、「育った家と雰囲気が似ている」と、沖縄の伝統の家に懐かしさと親しみを持っているようです。それだけでなく、かまどや、機織機などの古い生活用具ですら、懐かしい、と・・・。昔から長く変わることのなかった田舎の生活を実体験しているので、私にとっては博物館にしかないそれらの生活用具を、幼い頃身近に見て用いて、暮らしていたようなのです。夫と私の歳は大して違わないのに、大きな時代のギャップのようなもの?を感じる瞬間です(笑)。
| 具志頭民族資料館で撮影した、沖縄家屋の模型 私は、最初左の土間が玄関だと思っていました。 |
一方、沖縄の家には必ず門があり、門の正面にヒンプンという壁が存在しています。門を入ってまっすぐに進むとこの壁にぶつかることになります。(自動車とヒンブンは相性が悪いですね、きっと。)このヒンプン、魔物はまっすぐにしか進めないからと通りの突き当たりの壁等に埋め込んである「石巌當」と同じで、魔除けの壁です。
私は、魔物はまっすぐにしか進めないと聞いた時に、もしかすると「魔物」って台風の事を想定しているのかしらと思ったりしたわけです。屏風(ヒンプン)と書くあたり、また、色々な所に、魔除け兼、目隠し兼、風よけと書いてありますので、台風だけではないのでしょうが、少なくとも台風も魔物に含まれているんだなと思ってしまいました。
沖縄の人は魔除けが好きですよね。家に関わるものだけでも門の両側にシーサー、塀には石巌當、庭に入ったらヒンプンといくつもの魔除けがあります。どの家にも間違いなくあります。その上に、ヤモリ(家守)まで住んでいますから。入居する前何もいなかったはずの我が家でも、ヤモリさんがお風呂場におり家を守っていてくれました。
沖縄の家は、なぜ台風で飛ばされなかったのでしょうか?
もう一つ気になるのが、広い庇と家の作り。石の土台の上に、木を乗せただけで固定されていません。自分の重さだけで台風から家を飛ばされないようにしているのでしょうか?そのため、大きな屋根と重い瓦が重しになっていたのかしら。風が屋根の上を通り過ぎるように建てる地形的な条件だけではなく、この大きな庇のある屋根の形状と関係がありそうな気がしてなりません。
| 家の中(廊下から一番座と二番座を眺める) |
| 標準的な沖縄の伝統的な家の間取り 一番座(床の間あり)、二番座(仏壇あり)、裏座、かまどに台所、縁側 トイレは記載がありませんが、家畜小屋のあたりだったと |
| 門と内側のヒンブン (展示物のため、庭の植木も裏のフクギもありません) |
| こんな大きな家でも玄関はありません(沖縄ワールドにて) |
2013-06-23
慰霊の日の大きな満月
先日、「生まれて初めて夏至らしい長い一日を経験できそうで楽しみだ」、と書きましたが、21日の夏至の日は台風の影響がまだ少し残っていて、残念ながら大空の一部は黒雲に覆われ、8時過ぎまで残照が楽しめる、という感じにはなりませんでした。
でも、これから長い夏の始まりです。二時間近くの贅沢なトワイライトタイムシーズンはまだ当分続くのでしょう。それだけでもワクワクしますね。
今日23日は沖縄では「慰霊の日」、県内各地で慰霊祭が開催されました。
沖縄戦に思いを馳せ、少し感傷に浸りながら二階のテラスに出ると、正面に大きな大きな満月が上ってくるではありませんか。
ひと時、サンゴ礁の海から上るこの満月ショーに釘付けです。
沈みゆく西日の影響なのか、透き通るように美しく照り映え、伸ばせば手に届きそう。杵つきウサギですら大きく立派で、荘厳な趣さえ漂ってます。
お月様もこうして霊を慰めているのでしょうか・・・。
大らかに伸びやかに広がる丘陵、その先に広がるサンゴ礁の海、そして夜の美しいお月様まで、ここには身も心も癒してくれる風景が沢山あります。
そのせいでしょうか?最近、那覇や浦添など遠方からみえる患者さん達が、「この風景を目にするだけでも癒される感じがして、ここにまた来たくなってしまうんですよ」、と言ってくれます。
なんだかちょっと嬉しいですね。
追記:この日の月は、「スーパームーン」といって、年に一度、月が地球に一番近づき、1割以上大きく見える日だったとのこと。スーパームーンという名前が少し気になりますね。もう少し、気の利いた名前をつけられないものかしらね。
でも、これから長い夏の始まりです。二時間近くの贅沢なトワイライトタイムシーズンはまだ当分続くのでしょう。それだけでもワクワクしますね。
今日23日は沖縄では「慰霊の日」、県内各地で慰霊祭が開催されました。
沖縄戦に思いを馳せ、少し感傷に浸りながら二階のテラスに出ると、正面に大きな大きな満月が上ってくるではありませんか。
ひと時、サンゴ礁の海から上るこの満月ショーに釘付けです。
沈みゆく西日の影響なのか、透き通るように美しく照り映え、伸ばせば手に届きそう。杵つきウサギですら大きく立派で、荘厳な趣さえ漂ってます。
お月様もこうして霊を慰めているのでしょうか・・・。
大らかに伸びやかに広がる丘陵、その先に広がるサンゴ礁の海、そして夜の美しいお月様まで、ここには身も心も癒してくれる風景が沢山あります。
そのせいでしょうか?最近、那覇や浦添など遠方からみえる患者さん達が、「この風景を目にするだけでも癒される感じがして、ここにまた来たくなってしまうんですよ」、と言ってくれます。
なんだかちょっと嬉しいですね。
追記:この日の月は、「スーパームーン」といって、年に一度、月が地球に一番近づき、1割以上大きく見える日だったとのこと。スーパームーンという名前が少し気になりますね。もう少し、気の利いた名前をつけられないものかしらね。
2013-06-10
新城(あらぐすく)のパイチャート
グーグルマップを見ていたら、なんとなくパイチャートのような幾何学模様が見えてきてしまい、ちょっといたずらをしてみました。グルーと回り込んでいる道路を少し拡張して、・・・怒らないでください。
沖縄の古い道路はぐるぐる、くねくねと曲がっており、裏道に入るとなかなか思うところにたどり着けません。すぐ目の前にあるところも、グルーと回らないとたどり着けなかったり、少し不便ですけど、走っていると急に視界が開け、とても景色が良くなったり、それはそれで楽しめます。地形の凹凸が結構あり、地形にそって道路が作られているのでこういう曲線中心の道路になっているのでしょうか。従来からの地区の道路は皆、強引に地形を変えてまでまっすぐにしないのもなかなか味があって良いようにも感じます。
以下の写真は開発が進んでいる東風平地区の写真マップですが、新たに沢山の道路ができています。でも最近の開発でも結構面白い図形になっています。皆さんはここから動物や道具が見えてきたりしませんか?え、ナスカの地上絵のよう?
こんなことして何が楽しいのかって言われそうですね。夜空を眺めて星座を思いついた人々の想像力にはとても及ばないレベルですが・・・。心の余裕というか、豊かな感性というか、少し古代の人々の真似をしたくなってこんなことをしてみました。
沖縄の古い道路はぐるぐる、くねくねと曲がっており、裏道に入るとなかなか思うところにたどり着けません。すぐ目の前にあるところも、グルーと回らないとたどり着けなかったり、少し不便ですけど、走っていると急に視界が開け、とても景色が良くなったり、それはそれで楽しめます。地形の凹凸が結構あり、地形にそって道路が作られているのでこういう曲線中心の道路になっているのでしょうか。従来からの地区の道路は皆、強引に地形を変えてまでまっすぐにしないのもなかなか味があって良いようにも感じます。
以下の写真は開発が進んでいる東風平地区の写真マップですが、新たに沢山の道路ができています。でも最近の開発でも結構面白い図形になっています。皆さんはここから動物や道具が見えてきたりしませんか?え、ナスカの地上絵のよう?
こんなことして何が楽しいのかって言われそうですね。夜空を眺めて星座を思いついた人々の想像力にはとても及ばないレベルですが・・・。心の余裕というか、豊かな感性というか、少し古代の人々の真似をしたくなってこんなことをしてみました。
2013-06-05
洞窟があちこちに
沖縄南部は石灰岩質の土壌です。化石が残り易いと言われており、1万8000年前の港川人の人骨も発見されています。
石灰岩質と聞けば、鍾乳洞を思い出すかと思います。そうです、周りには洞窟がそこかしこにいっぱいあります。
隣町(といっても歩けるような距離ですが)には、沖縄ワールド(玉泉洞)があります。内部に滝まであるこの玉泉洞という鍾乳洞の大きさには驚かされます。全長5キロにも及ぶ鍾乳洞のうち約1キロが公開されています。鍾乳洞だけでなく、沖縄村が敷地内にあり、工芸品の展示、古い町並みの再現、買い物やアトラクションが盛りだくさんで一日楽しめますので、お勧めの観光地です。すぐ隣には洞窟喫茶のある、ガンガラーの森もあり、洞窟を探していたらきりがありません。
新城には、ヌヌマチガマという舌を噛みそうになる名前の洞窟もあります。
このヌヌマチガマ、畑の中にほんの少し、木立があるだけの場所ですが、実はそれは洞窟の入口で、洞窟の全長は500mにもなる様です。沖縄戦では野戦病院として使われ、当時は800人の傷病兵がいたとの記録が残っています。
石灰岩質と聞けば、鍾乳洞を思い出すかと思います。そうです、周りには洞窟がそこかしこにいっぱいあります。
隣町(といっても歩けるような距離ですが)には、沖縄ワールド(玉泉洞)があります。内部に滝まであるこの玉泉洞という鍾乳洞の大きさには驚かされます。全長5キロにも及ぶ鍾乳洞のうち約1キロが公開されています。鍾乳洞だけでなく、沖縄村が敷地内にあり、工芸品の展示、古い町並みの再現、買い物やアトラクションが盛りだくさんで一日楽しめますので、お勧めの観光地です。すぐ隣には洞窟喫茶のある、ガンガラーの森もあり、洞窟を探していたらきりがありません。
新城には、ヌヌマチガマという舌を噛みそうになる名前の洞窟もあります。
このヌヌマチガマ、畑の中にほんの少し、木立があるだけの場所ですが、実はそれは洞窟の入口で、洞窟の全長は500mにもなる様です。沖縄戦では野戦病院として使われ、当時は800人の傷病兵がいたとの記録が残っています。
2013-06-04
石垣と石畳の町
「街道をゆく 6 沖縄・先島への道」
この本には色々と気になる部分が多いように思います。
冒頭に近い「那覇・糸満」の項にある、以下のくだり。
「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる観光地になっていたろう。」
今や沖縄は日本有数の観光地なのですが、現在の沖縄観光のメインはリゾートとしての「近代的なホテルとコバルトブルーの海」、あるいは海と島の暮らしを楽しむなら「離島」に人気が分かれています。どちらもマリンスポーツと結びついているのかもしれません。首里城を含むグスクや霊所を訪れる旅はどちらかと言えば少数派。でも「古い沖縄はあちこちに」残っています。昨日の「やちむん通り」もそんな風情ですし、裏通りに一歩入るとくねくねした路地と石垣がたくさん残っています。
石垣と石畳の町、観光シーズンは梅雨明けでしょうが、真昼の散策は暑さが厳しいので直射日光のなくなった夕方から夜にかけての散策が良いと思います。5時から8時くらいまで3時間ほどあれば疲れきるまで町を探索できますよね。
ここ、新城も石垣や石畳の道が少しは残されています。自動車という文明が、舗装を要求し、石畳の道はどんどんアスファルトの道に。残されているのは車の通れない細い裏通りだけ。石垣と石畳の地図をつくるプロジェクトをいつか立ち上げてみたいような・・・。
余談ですが、実は、首里城の入口まで行って(それも2度も)、まだ首里城には入っていません。もっと沖縄をよく知ってから首里城を訪れたいという思いが、入ることを少し躊躇させているのかもしれません。
この本には色々と気になる部分が多いように思います。
冒頭に近い「那覇・糸満」の項にある、以下のくだり。
「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる観光地になっていたろう。」
今や沖縄は日本有数の観光地なのですが、現在の沖縄観光のメインはリゾートとしての「近代的なホテルとコバルトブルーの海」、あるいは海と島の暮らしを楽しむなら「離島」に人気が分かれています。どちらもマリンスポーツと結びついているのかもしれません。首里城を含むグスクや霊所を訪れる旅はどちらかと言えば少数派。でも「古い沖縄はあちこちに」残っています。昨日の「やちむん通り」もそんな風情ですし、裏通りに一歩入るとくねくねした路地と石垣がたくさん残っています。
石垣と石畳の町、観光シーズンは梅雨明けでしょうが、真昼の散策は暑さが厳しいので直射日光のなくなった夕方から夜にかけての散策が良いと思います。5時から8時くらいまで3時間ほどあれば疲れきるまで町を探索できますよね。
ここ、新城も石垣や石畳の道が少しは残されています。自動車という文明が、舗装を要求し、石畳の道はどんどんアスファルトの道に。残されているのは車の通れない細い裏通りだけ。石垣と石畳の地図をつくるプロジェクトをいつか立ち上げてみたいような・・・。
| 新城の石垣と石畳の道 |
2013-06-03
神様が舞い降りた?
那覇にある「やちむん通り」と呼ばれる焼き物の里を訪れた時の事です。
「アセロラの実!いらっしゃい、いらっしゃい」と、突然民家の庭から声がして手招きされました。
戸惑いましたがにこやかに何度も招かれ、つい呼ばれるままにそのお宅のお庭へ。
確かに赤い実が実っています。「食べてごらんなさい」と差し出され、頬張ると甘酸っぱさが口一杯に広がります。汗ばむ身体が欲していたのでしょう。とても美味しく感じます。
観光客だと思われたのかもしれませんが、我々を招いてくれた男性はその後やちむんエリアのミニ観光案内をかってでて、沖縄の植物の紹介から歴史まで90分ほどでしょうか、散策しながら色々なお話をして下さいました。
にこやかで穏やかな人柄のその方が、なぜ見知らぬ行きずりの私たちにこんなに親切にして下さったのか、正直いまだに謎です。
今思い出しても、その時間がまるでふわふわとした夢の中の出来事のようでとっても不思議。なんだか、そう、優しいお顔の新城神社の神様が私たちの前に舞い降りてちょこっとご褒美をくれたような、とでも言ったらいいでしょうか。
沖縄ではこんなびっくりするような親切を受けることが時々あり、もしかするとやっぱり神様があちこちに大勢住んでらっしゃる島なのかもしれませんね。
「アセロラの実!いらっしゃい、いらっしゃい」と、突然民家の庭から声がして手招きされました。
戸惑いましたがにこやかに何度も招かれ、つい呼ばれるままにそのお宅のお庭へ。
確かに赤い実が実っています。「食べてごらんなさい」と差し出され、頬張ると甘酸っぱさが口一杯に広がります。汗ばむ身体が欲していたのでしょう。とても美味しく感じます。
観光客だと思われたのかもしれませんが、我々を招いてくれた男性はその後やちむんエリアのミニ観光案内をかってでて、沖縄の植物の紹介から歴史まで90分ほどでしょうか、散策しながら色々なお話をして下さいました。
にこやかで穏やかな人柄のその方が、なぜ見知らぬ行きずりの私たちにこんなに親切にして下さったのか、正直いまだに謎です。
今思い出しても、その時間がまるでふわふわとした夢の中の出来事のようでとっても不思議。なんだか、そう、優しいお顔の新城神社の神様が私たちの前に舞い降りてちょこっとご褒美をくれたような、とでも言ったらいいでしょうか。
沖縄ではこんなびっくりするような親切を受けることが時々あり、もしかするとやっぱり神様があちこちに大勢住んでらっしゃる島なのかもしれませんね。
2013-06-02
新城神社の草刈り
今日は地区の共有地の管理のため住民が共同作業をする日。朝短時間ですが、新城神社の草刈りをしました。
草は結構伸びていましたが、ダンプカーやショベルカー、草刈り機も出ており、地区の共同作業とは思えない本格的な草刈りでした。鎌を持って行きましたが、鎌を利用するのは草刈り機が使えない部分のみという感じです。
あっという間に広い神社(新城城跡)の草はきれいに刈られました。おかげで、この土地からの東風平方面の見晴らしがとても良くなりました。また、神社の裏からも展望台に登る事ができるという新たな発見もしました。
それにしても早朝から既に日差しは相当強く、用心して日焼け止めを塗っておいて正解でした。30分程の作業でしたがたっぷり汗をかき、ちょっとした早朝運動です。
終わって見通しの良くなった神社の裏に立ち、眼下におおらかに広がる美しい風景を眺めていた時のこと。突然爽やかな風が汗ばんだ頬をなでていきました。丘を吹き抜けるこの風のなんとも心地良かったこと・・・。何よりのご褒美でした。
2013-05-23
シーサー
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