糸数城から虹が立ち上がって見えます。 二本のアンテナとドームは糸数城の東側にあります。 |
私の住む沖縄南部にも、規模も小さく保存状態のあまり良くないものまで含めると、かなりの数があるようです。
家から車で10分から15分位の範囲だけに限っても、知念森グスク、玉城グスク、糸数グスク、垣花グスク、大里グスク、具志頭グスク、富盛グスクなどなど、なんだかグスクだらけ、といった印象すら受けてしまいます。
実は、以前にこのブログでも書いたように思いますが、私が現在住んでいる家のあたりにも多分かつてグスクがあったらしい、と言われています。
グスク=城=シロ、ということなのですが、ここで素朴な疑問が一つ・・・。そもそも沖縄での「城」とはなんでしょうか?
たとえば、戦国時代の日本各地では、戦をする目的もあり、諸大名が各地に堅牢な城を築いて兵や武器を備え戦に備える、といったことがなされていたのでしょうけれど。そして戦の収まった江戸時代には諸藩の行政の府として、城が維持されてきた、という経緯はあるのでしょうけれど、沖縄のグスクの場合、その起源もあまり定かなものがなく、聖域説やら集落説やら色々あるようです。
今でさえ人口はそんなに多くはないエリアです。グスクが機能していた時代であれば、その人口もずっと少なかったのでは、とも思えますので、そんな時代にこんなに沢山のグスクがこの狭いエリアに必要だったのはなぜかしら~?と。
今のところは、各集落を守る神社のような役割と役場の出先機関のような役割を兼ねた場所?、と勝手に解釈して自分を納得させています。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら、是非教えて欲しいものですね。
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