方丈記(鴨長明) 冒頭
行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
<中略>
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、ゆふべを待つことなし。
私の頭の中を支配していたのも、どうやらこの人間の営みのはかなさ、無常観だったようです。
・・・でも庭に出てみると、眼の前にいる植物達の営みは全く違うではありませんか!
ゴーヤの花 |
そう、私を現実に引き戻したのは、この庭の植物達・・・。
無垢の自然とは程遠いとも言える野菜達ではありますが、生きとし生けるものの豊かで逞しい営みが、「これこそがあなたの生きている世界の現実なのだと」私に語りかけてくれているような気がします。
倒れても傷ついてもめげる事なく復活し、それでもダメなら次世代に託す。植物の営みは、泡のようにはかなく刹那的なものでは決してありません。本当にすごいなあ、と心から敬意を払いたくなります。
無垢の自然とは程遠いとも言える野菜達ではありますが、生きとし生けるものの豊かで逞しい営みが、「これこそがあなたの生きている世界の現実なのだと」私に語りかけてくれているような気がします。
倒れても傷ついてもめげる事なく復活し、それでもダメなら次世代に託す。植物の営みは、泡のようにはかなく刹那的なものでは決してありません。本当にすごいなあ、と心から敬意を払いたくなります。
ゴーヤが塩害から再び復活、トマトが共生しています、隣にはオクラが |
ミニトマトの花(9月から実を付け始めました) |
収穫をちょっと怠っていたら、いつの間にかバジルが花をつけ始めていました |
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