済みません。
こんな質問、突然されても意味が分かりませんよね・・・。
閏年など自然の微妙なサイクルに合わせるため微調整も必要ですが、時計は安定して正確に時を刻んでくれる、という点で私達の日常に不可欠なものですね(もっとも今は腕時計というよりは携帯やスマホが時計代わり、という時代ですが)。
その一方、日の出日の入り、日中の太陽の動き、星の動き、温度の変化、それに伴う私たちの暮らしのリズムに素直に従っていさえすれば、たとえ時計のようなものが無くても、実はあまり問題なく生活できてしまうのでは、と、思うこともあります。
確かに、1分、1秒を争うようなときには、時計の示す正確な時間は役立つのかもしれません。でも、1時間単位で生活するだけなら、ひょっとしたらそこまで正確に分からずともあまり問題は起こらないかも、と思ったりするのです。実際には、磨きをかければ我々自身の感覚ももっと鋭くなるのかもしれませんし・・・。
でも、人工の照明を用い夜も暗くならない、雨戸を閉めれば、朝日も入らない生活をしているならば、多分頼りは時計だけ、という事になりますよね。裏返せば、時計の便利さが我々を自然のサイクルから解放してくれた、と言うことも出来るわけですね。
ただ、この一見自由の広がったように見える現代の暮らしが、実は逆に私たちを縛っているのではないか、と疑問を持つことがあります。根底にもっと解放された本来の生き方があるのでは、という思いです。
パソコンもスマホも持たず、情報から遠ざかり、時間を忘れ、何もしない一日をゆっくり過ごす。現代を生きる私たちにとって、これ程贅沢なことは無いのかもしれません。
慌ただしく時間に追われる日常を忘れると、本当の「自分の時」が戻ってくるかのようです。