2024-05-19

この度JNカイロプラクティック整体院Ayaを閉院することになりました。


縁もゆかりも無い沖縄にて11年余り、お陰様で順調に経営してきた整体院ですが、ついにこの5月、ここを閉めることを決意しました。 長いと言えば長いし、短いと言えばあっと言う間の11年、幸か不幸か患者さんに惜しまれつつの閉院です。正直、このままあと10年位はスムーズにやっていけそうな感じもあり、患者さん方に申し訳ない思いもないわけではありません。しかし骨盤矯正というのは、突き詰めると明確な医療行為に他なりません。万が一にも失敗して、患者さんに不具合の生ずるようなことが起こってはならないと肝に銘じて仕事している以上、「惜しまれつつの閉院」というのが、ベストなタイミングである、という思いもあり、これで良かったのだと思っています。


その決断に至るには、コロナ騒動も大きなインパクトとなりました。


自分が感染しない、そして患者さんを感染させないという努力を日々入念に継続するということが、改善をしっかり実感できる施術を行うという従来の使命と共に、仕事の中で大きなウエイトを占めるようになりました。

毎回の施術でも出来うる限り慎重に丁寧に注意深く行なう様心がけておりましたが、そこにコロナ禍での様々な配慮が加わったのです。

当院を利用される患者さんの中には基礎疾患をお持ちの方もかなりの割合いらっしゃることは認識しておりましたので、万が一にもそうした方々に感染させるようなことが起きては大変です。院を一時閉鎖することも頭によぎったのですが、感染拡大真っ只中であっても、当院を利用したいという患者さんの数が減ることはありませんでした。むしろ完全予約制で一対一の施術を受けられる環境は、大きな病院よりもずっと安全安心に感じられ、積極的に来院されている方が多かった印象です。そのニーズに応えるべきとの思いも湧き、結局一時閉鎖することなくコロナ禍をしのぎました。

一人一人の施術後の徹底した清掃、細部に至る除菌、室内の空気の入れ替え、そして自分自身の体調の徹底管理、患者さんの体調確認など、そのお陰で幸いにも、県内の感染爆発下にあっても当院での感染は全く発生しませんでしたし、その点については「良くぞ全う出来た」と自分自身を大いに褒めたいとも思いますが、一方で私の心身への負担は従来の何倍にもなっていたと思います。現在はずっと落ち着き余裕も出てきてはいますが、引き続き用心は欠かせず、この仕事を継続する以上、コロナ以前のような状態に完全に戻ることは今後もないのだろうと感じます。今は適応できても、私の年齢が上がるにつれ徐々にそれを苦痛に感じることも増えていくかもしれない、という予想は当然に生まれました。それに加え、自分の今後の人生を睨み、その最終章に向け更なる一歩を踏み出すには十分な余裕をもって立ち向かいたい、という思いも生じ、そうしたことを様々詳細に検討した末に、出した結論です。


人生100年時代、残りの人生をどう生きるべきかと真剣に考えた末の決断、と言って良いでしょう。


二十歳の若者が30年先を見据えてみたと考えればば分かり易いでしょうか。自分が20歳の時に50歳というのはどれほど先に感じられたことか。実際、活動的な若者にとっては途方もなく先の事に感じられるのではないでしょうか。しかし、還暦を超えた今感じるのは、与えられた時間は若くても老齢でも結局同じであり、何十年というスパンは今の私にとってもとても長く感じられる、ということでした。

確かに若さに溢れた時期と、老齢期では時間感覚は明らかに異なる面もあります。けれど、まだまだ20歳の方々とそれほど変わらない希望の持てる時代になりました。それだけでなく、好奇心旺盛で健康でありさえすれば、それまでの経験を踏まえてさらに広く大きな歩を進めることもできるのです。そう考えると、とてもワクワクしますね。


コロナの時に職場と住居の分離も行いました。住居を他へ移すことで、先程の「感染しない、感染させない」を徹底するためでした。おかげでここ数年は、仕事場としての家に通勤しておりました。今回この整体院を閉めるにあたって、今後の生活には転居した先の環境の方がより好ましいと判断、大いに気に入っていたこの家、沖縄南部のコバルトブルーの海の見える高台の家も処分することを決めました。


なぜこんな場所(商業施設や人通りのない場所)で整体院を開いたのか不思議に思われたのでしょう、思い起こすと開院当初、何度か質問されました。漫然とただそこに整体院があるから施術を受けに行くという受動的なケースではなく、その整体院での施術をこそ受けたいから訪れる、というのであれば、場所は関係ありません。不便な場所であることは、むしろ患者さんが本当に治したいと思っているかどうかの試金石になります。治そうと思ってもいない患者さんに施術するほど大変なことはありません。そういう意味では、人通りも少なく静かで海を望める場所、というのは最高の環境でした。この素晴らしい環境と家に出会えたことも、私の仕事にとっては本当にラッキーなことだったと、今でも思います。神様に深く感謝したいくらいです。

そんなお気に入りの家との別れも、もうまもなく・・・。感慨深いですね。


私の施術は、時に患者さんとの戦いでもありました。施術をただ施し改善を促すだけでなく、不調に至るそもそもの原因をも取り除かなければ、また再発する可能性もあるのです。施術時に繰り返しお話を伺うことで、根本原因がどこにあるか色々と探っていきます。しかし、例えば長年の生活習慣に基づく根本原因が特定(推定)されて、それを防止するためのアドバイスをしても本気で治そうと思っていない方の生活を変える、行動変容を促すことは簡単ではありません。これはもう、少々大袈裟かもしれませんが、患者さんとのある意味本気の「戦い」と言っても良いでしょう。10回言っても生活を改善しようとしない方、そんな方にはきつい言葉も必要な場合がありました。骨盤の変形、それに起因する腰痛等もある意味で生活習慣病です。骨盤のずれは時に自律神経へも波及し、様々な複雑な症状をも引き起こすことすらあるのです。根本原因を取り除くことは、時に人生を大きく左右させる程大切なことだと、痛感しています。それを患者さんに理解していただきたい、そして確実に行動変容を果たして頂きたい、と私も幾度となく患者さんとの真剣勝負を挑みました。

何度か再発して、やっと言われたことの意味を深く理解して頂ける場合もありました。私にとっては残念ではありましたが、骨盤など、骨がいとも簡単に動き歪む、ということを実感できていない患者さんには必要な経験だったのかと思います。


原因もはっきりせず、長年常に何らかの不調に苛まれている、日常的に不安や苦痛に悩まされている、そんな方々の深い悩みに寄り添い、粘り強く施術を行い、少しずつその根本原因を取り除き、安心できる、生き生きとした暮らし・人生への道案内をしたい、微力ながら、少しでもお役に立てればという思いで始めた仕事です。そしてこの10年余、振り返ると、それなりに一定の貢献はできたのでは、と思えます。当初から、かなり重たい責任を自分に課し、最低10年はそれを継続することを目標に日々の仕事に打ち込んできたつもりでしたので、今は、しっかり目標を果たせた、という清々しさ、嬉しさも感じています。


この仕事を通じて、人間の身体と心について、食べ物・食べ方について、睡眠・眠り方について、動作や身体の使い方について、日常の過ごし方、人生の送り方、その思いや気迫について、人間を取り巻く環境について、社会や自然との関わり方について、現代医療医学の限界について、そして正しく「生きる」ということについて、等々、数多くの学びと認識を深め続けることができました。これは、私の今後の人生においても、全てが本当に大きく役立つことばかりです。これらをしっかりと噛み締め、私自身の血肉として、残りの人生に向け大きな歩みを進めていきたいと思っています。



最後になりますが、私を取り巻く全ての物事、そして私とご縁のあった全ての方々、これまで当院の活動を支えていただいた多くの皆様に心からの感謝を申しげます。「ありがとうございました・・・」





2019-08-11

沖縄、変わるものと変わらぬもの

沖縄県はここ数年、素人目にもあちらこちらで開発ラッシュ、という感じになっています。

日本人だけでなく、外国人観光客も急増(2018年度の入域観光客数999万9千人。6年連続過去最高。うち、外国人観光客数300万人突破。)、その急速な需要拡大に応えようと、都市型、リゾート型など様々なタイプ・規模のホテルから巨大ショッピングセンター、大型展示会会場、マンション等の建設、道路整備などが急ピッチで進んでいるのが、住んでいるとよくわかります。

那覇空港も滑走路一本の空港としては福岡空港に次いで過密だとか。今現在、2020年3月の供用(航空自衛隊と民間との供用)開始を目指して第二滑走路の建設が着々と進められています(利用者数も国内主要空港の中で、2013年度時点で既に第6位、国内線のみでは第4位、だったとのこと)。

また、海外からの豪華なクルーズ船も那覇の港にしょっちゅう停泊しているのを見かけます。現在は最大16万トンクラスまでのクルーズ船が寄港していますが、これを近い将来22万トンクラスまで(つまり全クラスの客船が)寄港可能なように、埠頭整備を計画しているのだそうです。

県の推計人口が2018年10月で約144万人(内、本島が約132万人、離島が合わせて約12万人)。観光客数は現時点で既にその7倍にも達しているわけですから、この開発ラッシュも当然といえば当然の流れ、なのでしょうね。

ハード面だけでなく、景観の発掘・整備、新たな観光スポットの開発・発信、祭りやイベント、伝統行事の掘り起こし、沖縄らしい食材の開発など、ソフト面でもあの手この手で観光客への「おもてなし」に、多くの方が心を注いでいるようです。

沖縄県は、このような観光を中心とした経済の活況の下、今後更に急速に変化していくのだろう、と感じます。


ショッピングセンターについては、2015年4月にイオン系の巨大ショッピングモール沖縄ライカム(延床面積で2017年で国内38位、店舗数240)がオープン。そして3年後の今年6月にはサンエーパルコシティ(延床面積で同2017年の順位比較で国内15位、店舗数250)が浦添市で開業。来年4月には豊見城市に店舗数170の複合商業施設も開業予定。そのほかにも中規模のショッピングセンターは各地に多数点在し、アウトレットモール(店舗数100)や海外ブランド140店舗が集まる国内唯一の路面型免税店のような特殊なモールも。そしてここ数年は、海外リゾート地のショッピングモールのような、小規模ながらもいわゆるインスタ映えしそうなおしゃれな雰囲気のモールも出現しつつあります。

こんな超巨大ショッピングモールが次々に開業して、今後長期にわたりやっていけるのかしら、と疑問の湧くこともあります。それにこんな大型ショッピングセンター内をぶらぶらしていると、沖縄にいるのだか首都圏にいるのだか、正直分からなくなってもきます。

ただ、沖縄の夏シーズンは半年近くあり、この時期、外は暑いというより熱射で痛い感じなので、日中戸外で長居はしにくいのが住民の本音です。観光客の皆さんは短期の滞在中、暑さ痛さを物ともせず、炎天下でバリバリ精力的に動き回る方も多いのでしょうが、それでも観光の合間に涼しい場所で息抜きされている方々も結構見かけます。
なので、冷房のよく効いた大型モールの中でたまの休日、のんびりウオーキングして過ごせるのは、住民にとってはやはりかなり有難いですし、観光客にとっても旅の合間の心地よいスパイスになっているのでは、と思います。大型モールでは多彩なイベントもよく開催されていますしね。

ということで、超巨大ショッッピングモールは、きっと沖縄ではこれからも必須モールとして生き残っていくに違いない・・・、という気がしています。


美しい海、家々に咲き誇る花々、穏やかな丘陵に広がるサトウキビ畑、明るくオープンでおっとりした人々・・・。本島南部でも、私の住むエリアにはイメージ通りの良き沖縄の雰囲気がいまだ満載です。それらがいつまでも失われませんように、と心の中で願いつつ、でも変わりゆく沖縄もおおらかに受け入れ、しなやかに全てを楽しみながら暮らしていきたいなあ、と思う昨今です。

2019-05-01

新時代「令和」の始まり

「平成」という時代はあと1時間ほどで終わり、いよいよ新時代「令和」が始まります。

「平成」は西暦にすると1988年に始まり、2019年に終わる、ちょうど30年と4ヶ月・・・。これが「平成」という時代の長さ、約30年ということですね。

阪神淡路大震災、オウム真理教の事件、バブル経済とその崩壊、東日本大震災と福島原発事故、日本および世界各地で頻発する地震、台風、その他増加する異常気象の数々、長期にわたる経済の低迷・・・。国内では戦争こそなかったですが、こうして挙げてみると、平安で穏やかというよりも、激動の時代、と言うに相応しい感じもしてきますね。

ネットで世界が繋がり、様々な情報への個人のアクセス力の飛躍的に拡大した「平成」の30年でもあったと思います。一方でAIやロボットなど、近い将来、社会の有り様の更なる激変も確実視され、そこにはむろん希望もありますが、同時にこの新時代「令和」への漠たる不安も少なからず湧いてきます。

個人的には、自動運転カーの普及を一番期待しています。生涯現役を目指すなら、やはり年とともに甘受せざるを得ない移動手段の制約を極力低減できる、自動運転カーは大変魅力的です。法制度や道路整備など、広範かつ多様にクリアすべき問題もあり、普及に関しては技術面よりもそれらが一番のネックとなるのかもしれませんが、なんとか知恵を絞り、早期の普及に繋げていってもらえたらなあと思います。

「平成」30年を振り返ると、やはりこの間の一番大きな変化は、「昭和」の時代までに築かれていた価値観が根本から崩れ去り、既存の考え方、やり方、与えられた定型の発想では立ち行かなくなったこと。そして、個人がしっかりと一つ一つの問題に真剣に向き合い、情報を収集し、判断し決断し実行していかざるを得ない場面が増し、そして、そうした能力を磨き発揮できる者にはチャンスも与えられる、そんな時代がやってきた、ということなのではないか、と思っています。

受け身で事なかれ主義、従順な生き様を望む人々には、新時代は更に厳しい時代となるのかもしれませんが、自分で人生を切り開く気概ある人々には、面白い時代となるのかも、ですね。

結局來たる時代を良くするも悪くするも、自分次第、ということでしょうか。

どんな時代であれ、新たな時代「令和」を楽しむ心の余裕は、今後も培っていきたいものです。

2019-04-05

沖縄で台風対策

台風が年々大型、強大化している中、我が家の被害はこれまで幸いにも、ほぼ皆無。ですが、昨秋の台風襲来時には自宅にいて少し怖さを感じました。なにせこの住まいは、台風銀座と呼ばれる沖縄の、しかも少し高台にあるわけですから、頻度と規模もやはり本土とは少々異なります。

で、その時以来検討してきた台風時の窓割れ防止対策を、先日ついに施しました。

台風時に窓に吹き付ける風力、風音をかなり低減、飛来物があっても窓割れを防止でき、装着していても室内から外を見ることができる、また簡単に取り外しができ(台風襲来前に自分で取り付け、台風後に取り外し畳んで収納できる)、収納もかさばらない等の理由で、自宅窓にハリケーンファブリックというものを取り付けました。

取り付けの部分が少し目立ちはしますが、当初想像したほど、外見も意外と気になりません。むしろ、昼間は外からは全く室内が見えないという目隠し効果や、紫外線遮光機能がとても気に入りました(完全に覆われ、外からは窓の存在さえ分かりせん)。


写真の窓は、我が家の提案で、窓ガラスとの距離を十分取るため、取り付け方法を少し工夫して頂いています。柔軟に対応いただいた業者さんに感謝です。色も壁の色とあまり違わない色調で落ち着いています。

一部の窓は高い場所で、素人の取り付けには危険性があることもあり、常時取り付けたままにしていますが、予想以上に透明感があり視界の邪魔になりません(ソーラーガードという材質です)。取り付けたままにしておくと、カーテンやブラインドを全開でき、かえって室内の開放感が増す感じです。外部からは全く見えない状況で、窓を開けて換気さえできることは予想外のメリットでした。

まだ台風シーズン前ですので、防風等の台風時の本当の安心感は実感していませんが、平時の使用でも、遮光、目隠し、防犯等も兼ねられる点で、十分利用価値があるなあ、と感じている次第です。

台風時に実際どうだったか、も、いつかここでご報告しますね。


2019-03-05

元旦の訪問者

久しぶりの投稿、それもいまさらですが、元旦の出来事です。

2019年元旦、部屋でのんびりしていると突然、家の前にあるクズの絡んだ雑木の上に大きな鳥が舞い降りました。
視線はこちらに。あきらかに私たちも見られています。

鋭いクチバシと厳しい目つきで周りを物色しています。この鳥からしたら斜め方向の窓にあたるので、ここからなら大丈夫かと、急いで別の部屋の窓からカメラを向けました。明らかに猛禽類のクチバシ、沖縄では初めて見る大きさです。タカそれともハヤブサ?猛禽類を目にすることはあまり多くはありませんので、一瞬そんな名前が頭に浮かんできましたが、なんでこんな所に?・・・、という思いが先に頭を占めました。

あたりを盛んにを物色しながら、時折こちらを睨んでくるようにも見えます。中から外は見えても、ガラス窓の水平面と視線の先の角度は30度くらい、しかも明るい外部から暗い部屋の中が、この鳥にはどうやら見えている模様。猛禽類の視力はとても良い、と知ってはいましたが、それでもこんな角度からの暗い室内まで見通せるのか、と、なんとも不思議で驚きましたが、視線は確かに、幾度もこちらでピタリと停止します。

雑木の中には小動物や小鳥が沢山住んでいますので、それらの獲物を狙っていたものと思います。しばし、物色とこちらを睨む動作を繰り返していましたが、私に見られているのが落ち着かなかったせいなのか、狩は諦め、5分程度で飛び去って行きました。(サシバ?さんごめんなさい)

初夢では、「一鷹、二富士、三茄子」は「縁起の良い夢」だそうですが、まさか元旦に鷹の仲間が本当に自宅前に現れるなんて、悪い気分はしません。

写真から推測するとこの鳥は、おそらく沖縄で越冬する「サシバ」なのだろう、と思います。

元旦ではありませんが、今年初めての記事、みなさまにとって本年がどうぞ良い年でありますよう。