2019-08-11

沖縄、変わるものと変わらぬもの

沖縄県はここ数年、素人目にもあちらこちらで開発ラッシュ、という感じになっています。

日本人だけでなく、外国人観光客も急増(2018年度の入域観光客数999万9千人。6年連続過去最高。うち、外国人観光客数300万人突破。)、その急速な需要拡大に応えようと、都市型、リゾート型など様々なタイプ・規模のホテルから巨大ショッピングセンター、大型展示会会場、マンション等の建設、道路整備などが急ピッチで進んでいるのが、住んでいるとよくわかります。

那覇空港も滑走路一本の空港としては福岡空港に次いで過密だとか。今現在、2020年3月の供用(航空自衛隊と民間との供用)開始を目指して第二滑走路の建設が着々と進められています(利用者数も国内主要空港の中で、2013年度時点で既に第6位、国内線のみでは第4位、だったとのこと)。

また、海外からの豪華なクルーズ船も那覇の港にしょっちゅう停泊しているのを見かけます。現在は最大16万トンクラスまでのクルーズ船が寄港していますが、これを近い将来22万トンクラスまで(つまり全クラスの客船が)寄港可能なように、埠頭整備を計画しているのだそうです。

県の推計人口が2018年10月で約144万人(内、本島が約132万人、離島が合わせて約12万人)。観光客数は現時点で既にその7倍にも達しているわけですから、この開発ラッシュも当然といえば当然の流れ、なのでしょうね。

ハード面だけでなく、景観の発掘・整備、新たな観光スポットの開発・発信、祭りやイベント、伝統行事の掘り起こし、沖縄らしい食材の開発など、ソフト面でもあの手この手で観光客への「おもてなし」に、多くの方が心を注いでいるようです。

沖縄県は、このような観光を中心とした経済の活況の下、今後更に急速に変化していくのだろう、と感じます。


ショッピングセンターについては、2015年4月にイオン系の巨大ショッピングモール沖縄ライカム(延床面積で2017年で国内38位、店舗数240)がオープン。そして3年後の今年6月にはサンエーパルコシティ(延床面積で同2017年の順位比較で国内15位、店舗数250)が浦添市で開業。来年4月には豊見城市に店舗数170の複合商業施設も開業予定。そのほかにも中規模のショッピングセンターは各地に多数点在し、アウトレットモール(店舗数100)や海外ブランド140店舗が集まる国内唯一の路面型免税店のような特殊なモールも。そしてここ数年は、海外リゾート地のショッピングモールのような、小規模ながらもいわゆるインスタ映えしそうなおしゃれな雰囲気のモールも出現しつつあります。

こんな超巨大ショッピングモールが次々に開業して、今後長期にわたりやっていけるのかしら、と疑問の湧くこともあります。それにこんな大型ショッピングセンター内をぶらぶらしていると、沖縄にいるのだか首都圏にいるのだか、正直分からなくなってもきます。

ただ、沖縄の夏シーズンは半年近くあり、この時期、外は暑いというより熱射で痛い感じなので、日中戸外で長居はしにくいのが住民の本音です。観光客の皆さんは短期の滞在中、暑さ痛さを物ともせず、炎天下でバリバリ精力的に動き回る方も多いのでしょうが、それでも観光の合間に涼しい場所で息抜きされている方々も結構見かけます。
なので、冷房のよく効いた大型モールの中でたまの休日、のんびりウオーキングして過ごせるのは、住民にとってはやはりかなり有難いですし、観光客にとっても旅の合間の心地よいスパイスになっているのでは、と思います。大型モールでは多彩なイベントもよく開催されていますしね。

ということで、超巨大ショッッピングモールは、きっと沖縄ではこれからも必須モールとして生き残っていくに違いない・・・、という気がしています。


美しい海、家々に咲き誇る花々、穏やかな丘陵に広がるサトウキビ畑、明るくオープンでおっとりした人々・・・。本島南部でも、私の住むエリアにはイメージ通りの良き沖縄の雰囲気がいまだ満載です。それらがいつまでも失われませんように、と心の中で願いつつ、でも変わりゆく沖縄もおおらかに受け入れ、しなやかに全てを楽しみながら暮らしていきたいなあ、と思う昨今です。

2019-05-01

新時代「令和」の始まり

「平成」という時代はあと1時間ほどで終わり、いよいよ新時代「令和」が始まります。

「平成」は西暦にすると1988年に始まり、2019年に終わる、ちょうど30年と4ヶ月・・・。これが「平成」という時代の長さ、約30年ということですね。

阪神淡路大震災、オウム真理教の事件、バブル経済とその崩壊、東日本大震災と福島原発事故、日本および世界各地で頻発する地震、台風、その他増加する異常気象の数々、長期にわたる経済の低迷・・・。国内では戦争こそなかったですが、こうして挙げてみると、平安で穏やかというよりも、激動の時代、と言うに相応しい感じもしてきますね。

ネットで世界が繋がり、様々な情報への個人のアクセス力の飛躍的に拡大した「平成」の30年でもあったと思います。一方でAIやロボットなど、近い将来、社会の有り様の更なる激変も確実視され、そこにはむろん希望もありますが、同時にこの新時代「令和」への漠たる不安も少なからず湧いてきます。

個人的には、自動運転カーの普及を一番期待しています。生涯現役を目指すなら、やはり年とともに甘受せざるを得ない移動手段の制約を極力低減できる、自動運転カーは大変魅力的です。法制度や道路整備など、広範かつ多様にクリアすべき問題もあり、普及に関しては技術面よりもそれらが一番のネックとなるのかもしれませんが、なんとか知恵を絞り、早期の普及に繋げていってもらえたらなあと思います。

「平成」30年を振り返ると、やはりこの間の一番大きな変化は、「昭和」の時代までに築かれていた価値観が根本から崩れ去り、既存の考え方、やり方、与えられた定型の発想では立ち行かなくなったこと。そして、個人がしっかりと一つ一つの問題に真剣に向き合い、情報を収集し、判断し決断し実行していかざるを得ない場面が増し、そして、そうした能力を磨き発揮できる者にはチャンスも与えられる、そんな時代がやってきた、ということなのではないか、と思っています。

受け身で事なかれ主義、従順な生き様を望む人々には、新時代は更に厳しい時代となるのかもしれませんが、自分で人生を切り開く気概ある人々には、面白い時代となるのかも、ですね。

結局來たる時代を良くするも悪くするも、自分次第、ということでしょうか。

どんな時代であれ、新たな時代「令和」を楽しむ心の余裕は、今後も培っていきたいものです。

2019-04-05

沖縄で台風対策

台風が年々大型、強大化している中、我が家の被害はこれまで幸いにも、ほぼ皆無。ですが、昨秋の台風襲来時には自宅にいて少し怖さを感じました。なにせこの住まいは、台風銀座と呼ばれる沖縄の、しかも少し高台にあるわけですから、頻度と規模もやはり本土とは少々異なります。

で、その時以来検討してきた台風時の窓割れ防止対策を、先日ついに施しました。

台風時に窓に吹き付ける風力、風音をかなり低減、飛来物があっても窓割れを防止でき、装着していても室内から外を見ることができる、また簡単に取り外しができ(台風襲来前に自分で取り付け、台風後に取り外し畳んで収納できる)、収納もかさばらない等の理由で、自宅窓にハリケーンファブリックというものを取り付けました。

取り付けの部分が少し目立ちはしますが、当初想像したほど、外見も意外と気になりません。むしろ、昼間は外からは全く室内が見えないという目隠し効果や、紫外線遮光機能がとても気に入りました(完全に覆われ、外からは窓の存在さえ分かりせん)。


写真の窓は、我が家の提案で、窓ガラスとの距離を十分取るため、取り付け方法を少し工夫して頂いています。柔軟に対応いただいた業者さんに感謝です。色も壁の色とあまり違わない色調で落ち着いています。

一部の窓は高い場所で、素人の取り付けには危険性があることもあり、常時取り付けたままにしていますが、予想以上に透明感があり視界の邪魔になりません(ソーラーガードという材質です)。取り付けたままにしておくと、カーテンやブラインドを全開でき、かえって室内の開放感が増す感じです。外部からは全く見えない状況で、窓を開けて換気さえできることは予想外のメリットでした。

まだ台風シーズン前ですので、防風等の台風時の本当の安心感は実感していませんが、平時の使用でも、遮光、目隠し、防犯等も兼ねられる点で、十分利用価値があるなあ、と感じている次第です。

台風時に実際どうだったか、も、いつかここでご報告しますね。


2019-03-05

元旦の訪問者

久しぶりの投稿、それもいまさらですが、元旦の出来事です。

2019年元旦、部屋でのんびりしていると突然、家の前にあるクズの絡んだ雑木の上に大きな鳥が舞い降りました。
視線はこちらに。あきらかに私たちも見られています。

鋭いクチバシと厳しい目つきで周りを物色しています。この鳥からしたら斜め方向の窓にあたるので、ここからなら大丈夫かと、急いで別の部屋の窓からカメラを向けました。明らかに猛禽類のクチバシ、沖縄では初めて見る大きさです。タカそれともハヤブサ?猛禽類を目にすることはあまり多くはありませんので、一瞬そんな名前が頭に浮かんできましたが、なんでこんな所に?・・・、という思いが先に頭を占めました。

あたりを盛んにを物色しながら、時折こちらを睨んでくるようにも見えます。中から外は見えても、ガラス窓の水平面と視線の先の角度は30度くらい、しかも明るい外部から暗い部屋の中が、この鳥にはどうやら見えている模様。猛禽類の視力はとても良い、と知ってはいましたが、それでもこんな角度からの暗い室内まで見通せるのか、と、なんとも不思議で驚きましたが、視線は確かに、幾度もこちらでピタリと停止します。

雑木の中には小動物や小鳥が沢山住んでいますので、それらの獲物を狙っていたものと思います。しばし、物色とこちらを睨む動作を繰り返していましたが、私に見られているのが落ち着かなかったせいなのか、狩は諦め、5分程度で飛び去って行きました。(サシバ?さんごめんなさい)

初夢では、「一鷹、二富士、三茄子」は「縁起の良い夢」だそうですが、まさか元旦に鷹の仲間が本当に自宅前に現れるなんて、悪い気分はしません。

写真から推測するとこの鳥は、おそらく沖縄で越冬する「サシバ」なのだろう、と思います。

元旦ではありませんが、今年初めての記事、みなさまにとって本年がどうぞ良い年でありますよう。




2018-10-18

2018年ー夏の終わりの嵐

久しぶりに自宅で「大型・猛烈な」台風(24号)を経験しました。

風速は60メートル近く(最大瞬間風速56.7メートルだったそう)で、強烈な風雨が真横に吹き付けモウモウと水煙まで上がり、家の駐車場に停めてある乗用車でさえこの暴風で動かされそうな気配がありました(幸いにもひっくり返されることなく済んで良かったですが)。飛来物が直撃すれば家の分厚い窓ガラスですら割れて、激しい風雨が吹き込んでもおかしくない状況です。実際、ニュースを見ると色々なものが飛ばされています。

台風の通過した翌日には、道路の並木は折れ曲がったり、根元から倒れたものも多かったようです。倒れなかった木々も、葉はすっかり吹き飛ばされ丸裸、そして飛ばされた草木の葉や枝が道路の片側を覆い尽くす光景が残りました。。

高く鬱蒼としていた木や草が倒れたり葉を大量に失い、見通しがよくなることで、風景も一変したのでした。


そして1週間も経たぬうちに台風25号に再び見舞われ、24号の深い傷跡から速攻で立ち直るべく新芽を出しかけた木々も、その新芽をことごとく枯らされてしまったのです。

それでも、25号の後、この追い討ちにめげることなく、更なる再生のため必死で新たな芽を出す木々の姿には、本当に心打たれます。

自然の猛威の波状攻撃を受け、心折れる余裕など全く無い、ということでしょうか。

ただただ、持てる力の全てを振り絞り何としてでも再生しようとする、その圧倒されるような、生きんとする気迫が、枝を見つめているだけでずんずん伝わってきます。

少し大げさかもしれませんが、生きるとはこういうことなのだ、と教わった気がします。


沖縄の夏の終わりに襲った二つの嵐を無事サバイバルできた鳥たちも、ここかしこで高らかな囀りを響かせています。

どこで、どのようにしてこの二度の嵐を凌いだのでしょうか。自分たちを誇らしく思っているのかもしれませんね。あるいは、取り戻せた穏やかな日常の喜びを味わっているのでしょうか。


ここ数年運良く沖縄本島は猛烈な台風に直撃されませんでしたので、その分、今回は農作物などの被害も大きかったようです。

  • 数年で無防備かつ自由奔放に育った植物が特に大きな被害にあった、ということもあるのでしょう。こうした試練を経て、植物たちもおそらく色々学ぶのだろうなあ、という気もします。この試練に耐えきれず命を落とすものもいる一方で、サバイバルしたもの達は間違いなく多くのことを学び、次回の試練に備えられるようにもなり、乗り切れるようにもなっていくのでしょう。
  • 人間界においては、特にライフラインの弱い部分が大きな痛手を受けました。なかでも数日間にも及んだ停電が大変でした。日常的にどれほど電気に依存した生活をしているかを、こうしたことがある度に思い知らされますね。我が家ではなんとか用意していたものを生かし、最悪の事態は避けられましたが、それでも課題は残りました。
  • 台風の大型化激烈化している可能性も感じます。温暖化のせいなのか、温暖化以外の地球規模の大きな気象変動や地殻変動などの影響なのか定かではありませんが、とにかくその発生の時期やコース、規模、頻度において、かなり変化が出てきているのは間違いなさそうです。

「今後のために、もう少し緻密な対策をとる必要があるなあ」というのが正直な感想です。


ともあれ、10月の後半、気温の上ではぐっと秋めいた沖縄にありながら、木々達は旺盛に新たな芽を出していますので、今年は「新緑の11月」になりそうです。

我々も植物や他の生き物達から大いに学ばなくては、と素直に思います。これを機会に頭も心も柔らかくし新たな芽を伸ばしていく必要があるということでしょう。

惰性で一方向にのみ伸びる生活から脱して、生き方の新たな方向性を模索せよ、ということでもあるのかな、と思っています。

色々と考えさせられることの多い、夏の終わりの嵐ではありました。