2018-10-18

2018年ー夏の終わりの嵐

久しぶりに自宅で「大型・猛烈な」台風(24号)を経験しました。

風速は60メートル近く(最大瞬間風速56.7メートルだったそう)で、強烈な風雨が真横に吹き付けモウモウと水煙まで上がり、家の駐車場に停めてある乗用車でさえこの暴風で動かされそうな気配がありました(幸いにもひっくり返されることなく済んで良かったですが)。飛来物が直撃すれば家の分厚い窓ガラスですら割れて、激しい風雨が吹き込んでもおかしくない状況です。実際、ニュースを見ると色々なものが飛ばされています。

台風の通過した翌日には、道路の並木は折れ曲がったり、根元から倒れたものも多かったようです。倒れなかった木々も、葉はすっかり吹き飛ばされ丸裸、そして飛ばされた草木の葉や枝が道路の片側を覆い尽くす光景が残りました。。

高く鬱蒼としていた木や草が倒れたり葉を大量に失い、見通しがよくなることで、風景も一変したのでした。


そして1週間も経たぬうちに台風25号に再び見舞われ、24号の深い傷跡から速攻で立ち直るべく新芽を出しかけた木々も、その新芽をことごとく枯らされてしまったのです。

それでも、25号の後、この追い討ちにめげることなく、更なる再生のため必死で新たな芽を出す木々の姿には、本当に心打たれます。

自然の猛威の波状攻撃を受け、心折れる余裕など全く無い、ということでしょうか。

ただただ、持てる力の全てを振り絞り何としてでも再生しようとする、その圧倒されるような、生きんとする気迫が、枝を見つめているだけでずんずん伝わってきます。

少し大げさかもしれませんが、生きるとはこういうことなのだ、と教わった気がします。


沖縄の夏の終わりに襲った二つの嵐を無事サバイバルできた鳥たちも、ここかしこで高らかな囀りを響かせています。

どこで、どのようにしてこの二度の嵐を凌いだのでしょうか。自分たちを誇らしく思っているのかもしれませんね。あるいは、取り戻せた穏やかな日常の喜びを味わっているのでしょうか。


ここ数年運良く沖縄本島は猛烈な台風に直撃されませんでしたので、その分、今回は農作物などの被害も大きかったようです。

  • 数年で無防備かつ自由奔放に育った植物が特に大きな被害にあった、ということもあるのでしょう。こうした試練を経て、植物たちもおそらく色々学ぶのだろうなあ、という気もします。この試練に耐えきれず命を落とすものもいる一方で、サバイバルしたもの達は間違いなく多くのことを学び、次回の試練に備えられるようにもなり、乗り切れるようにもなっていくのでしょう。
  • 人間界においては、特にライフラインの弱い部分が大きな痛手を受けました。なかでも数日間にも及んだ停電が大変でした。日常的にどれほど電気に依存した生活をしているかを、こうしたことがある度に思い知らされますね。我が家ではなんとか用意していたものを生かし、最悪の事態は避けられましたが、それでも課題は残りました。
  • 台風の大型化激烈化している可能性も感じます。温暖化のせいなのか、温暖化以外の地球規模の大きな気象変動や地殻変動などの影響なのか定かではありませんが、とにかくその発生の時期やコース、規模、頻度において、かなり変化が出てきているのは間違いなさそうです。

「今後のために、もう少し緻密な対策をとる必要があるなあ」というのが正直な感想です。


ともあれ、10月の後半、気温の上ではぐっと秋めいた沖縄にありながら、木々達は旺盛に新たな芽を出していますので、今年は「新緑の11月」になりそうです。

我々も植物や他の生き物達から大いに学ばなくては、と素直に思います。これを機会に頭も心も柔らかくし新たな芽を伸ばしていく必要があるということでしょう。

惰性で一方向にのみ伸びる生活から脱して、生き方の新たな方向性を模索せよ、ということでもあるのかな、と思っています。

色々と考えさせられることの多い、夏の終わりの嵐ではありました。